虚伝と背反 22
『……あーもしもし、桜良ちゃん?
夜中にごめんね……ってこれ録音メッセージだったね。
簡潔に用件だけ言うね』
『別で座標を送る。
いつでも良い、僕はそこで待っているから』
***
初夏の夜の寝苦しさに目を覚ました私は、一件のメッセージに気づいた。
ここに来てほしい、と指示された場所は町はずれにある廃工場だった。
よりによって何故廃工場なんかに、と呟きつつ服を着替えた。
蒸し暑い外に出て、廃工場を目指す。
勿論、人通りは無い。
あったとしても、私に気にする事は無い。
今の私は他者に認識されることはない。
兎に角、呼び出すということは余程大切な用なのだろう。
私もあいつの姿を見たことは無い。ならば顔を合わせる機会があっても良いとは思う。
廃工場までは少しかかる、その間に次の作戦を考えておこう。
***
あたしの声はあいつには届かなかった。
今すぐにでも追いかけたいが、この男を一人置いていくのは少々如何なものかと思う。
英貴と結羽がいる場所もやや遠く、助けをが来て、こいつを引き渡してから探すのでは遅い気がするが、それしか手段が無い。
「大迷惑だわ……」
愚痴を溢すが、元はといえばあたし側の奴等が先に手を出した訳だ。あまり文句は言えないのかもしれない。
勿論、こいつらには恨みがあるとしても。
「さーて……過保護なお兄さんはここかな」
短く切り揃えられた髪に片眼鏡の長身の女が部屋に入ってきた。
「……あら、灯子お嬢様じゃないですか」
長身の女は驚いて、あたしの方へ駆け寄ってきた。
この女は確か、父の助手をしていた_
「西城 薫さん…?」
「覚えていてくれましたか、立派になられましたねお嬢様」
西城 薫__彼女は父の助手として同じ施設で働いていて、時々忙しい両親の代わりに面倒を見てくれていた。
「何故あなたが吸血鬼と……」
「質問は後です、彼の事が心配なので先に治療をさせていただけますか」
薫は巡の方を見る。
先程より顔色が悪くなっている、このままでは薫の言う通り危険だ。
「先ずは私の車に彼を運びますので」
「手伝うわ」
二人で巡の体を支え、一旦外まで出る事にした。
薫さんは父さんの助手だ。
同じ孤児院で専属の医者として共に働いていた彼女が何故この場にいるのだろう。
父さんは何者かに殺され、施設は全焼したと聞いた。
父さんが死んだ時、彼女は何をしていた?
彼女はどこまで知っている?
そして何故、吸血鬼と面識がある?
「……先に言っておきますが、私は至って正気ですよ」
先に口を割ったのは薫の方だった。
「この状況に酷く戸惑っているのでしょう、無理もありません」
「……あなたは今まで何をしていたの」
あたしの言葉に薫は黙りこむ。
「吸血鬼は電話中、相手を『先生』と呼んだわ。そして来たのが貴女、これはどういう事かしら?」
薫は巡を車に細心の注意を払いながら乗せ、やっと口を開いた。
「あの子を地獄に叩き落としたのは私です。結果的に、お嬢様やお父様まで巻き込んでしまった」
薫は車に乗り込み、エンジンをかける。
「私の持つ情報は、あの情報屋気取りのハッカーに売りました、遠くないうちに知ることになるでしょう」
本当にごめんなさい、と最後に付け加え薫は車で走り去っていった。
「何なのよ……」
片手で頭を掻きむしりながら苛立ちを押さえる。
兎に角、吸血鬼を押さえに行こう。
行って一度話をしよう、あたしは何も知らないから。
英貴から真実を聞いて、吸血鬼の言葉を聞いて、それから結論を探しても遅くはないはずだ。
殺された父さんの仇は必ず討つ事だけは忘れずに__
***
もう一度、工場内を探索する。
錆だらけで、埃っぽくて歩いているだけで気分が悪くなる。
音が聴こえた方へと、少しずつ近づいて行く。
次第に声は鮮明に聞こえ、内容も聞き取れる距離まで来ていた。
「楽に死ねると思うなよ……!」
吸血鬼の声が聴こえる。
声色から、憎悪がどれ程のものなのか察しがつく。
気づかれない様に、息を潜めて近くの物陰まで移動する。
そこには二人の男が倒れていて、一人の男が吸血鬼に追い詰められていた。
「巡にした事以上の苦しみを味わってもらう……!」
男の首筋にナイフを当て、今にも刃を突き立てそうな吸血鬼の目つきは氷の様に冷たかった。
「待って、吸血鬼!」
我慢ならず、あたしは思わず飛び出してしまう。
「そいつを離して、情報を引き出しましょう」
その言葉に、吸血鬼は更に顔を引きつらせ直ぐ様反論した。
「離せ?ふざけないで、こいつは…… 」
「今闇雲に殺しても、巡を狙った大元や過程がわからないわ」
吸血鬼はナイフを下ろし、男の胸ぐらを掴んでそのままあたしの方へ蹴り飛ばした。
「全て吐け、吐かなければ嬲り殺す」
吸血鬼は、倒れた男の顔のすぐ横に刺さるようにナイフを投げ、圧をかけている。
「質問に答えてもらう、答えなければ爪を一枚ずつ剥がす」
吸血鬼の殺気に、あたしも圧されてしまう。
その愛情を他の方向へ出力できれば、普通に一途な良い子かもしれないのにな、と思いながら。
「まず、何が目的だった?」
右足の親指の爪と皮膚の間にナイフを近づけながら、吸血鬼は言った。
「明里先生の仇討ちの為だ……!」
男はナイフから足を遠ざけながらも、質問に答えた。
しかし足は吸血鬼に掴まれ、腕はあたしが押さえている為抵抗はできなくなった。
「でも、それなら何故あたしを呼んだのかしら」
あたしが男の背後から投げかけた質問に対し、
「お嬢様なら、この化け物に復讐ができると聞いたら協力していただけると思ったまでです……」
男は力無く項垂れていた。
呆れたものだ、あたしは誰にも協力も復讐も頼んじゃいない。
これはあたしのやると誓った事、他の誰かを直接関わらせることは避けたつもりだ。
こいつが父さんとどういった関係なのかは私は知らない。
それでも、自分がしたい復讐の為に協力だの仇討ちだの綺麗に解釈して、他者を巻き込むのは納得ができない。
「あの日、俺達は先生の護衛をしようとした。でも先生は俺達を逃がしたんだ、そうしたらお前が……」
男は語りだす、吸血鬼は塵を見るような目で男を見つめていたが、静かに話は聞いている様だった。
「お前が先生を殺した!だから今ここで灯子お嬢をお呼びして、お嬢の目の前でお前を殺そうとしたんだよ!」
その言葉に吸血鬼は鼻で嗤った。
「俺は強くはないよ、でもお前達は三人係りで俺を捕まえようとしたよね?」
吸血鬼は、男をあえて倒れた仲間が見える様に立たせた。
「ほら見て、仲間は倒れてお前は逆に捕まっている。それってさ、『あの日』仮に護衛をしていたとしても、結果は同じだったんじゃない?」
吸血鬼は男の顔に両手を添え、目の前に立った。
「やり方が汚いんだよ」
彼の左右非対称の虚ろな瞳は、男を見ているようでいて全く焦点が合っておらず、やはり何処か不気味さを感じさせる。
「『お前を』って事は狙っていたのは俺だけでしょう?ならどうして巡はあんな事になっていた?巡も狙っていたなら『お前達を』って言うよね?巡を人質に俺を捕まえようとしたんだよね」
吸血鬼は男の耳元でそっと、そして重く囁いた。
「__それ、お前も同じことしているよね」
男は隠し持っていたナイフを取り出し、吸血鬼の腹に突き刺した。
あたしは男を取り押さえようとしたが、吸血鬼がそれを止めた。
男は叫びだし、ナイフを何度も吸血鬼に突き刺したが、彼は全く怯む素振りを見せなかった。
吸血鬼は男の肩を掴んだと同時に、男の首筋に噛み付いた。
そこからは呆気なかった。
男は動かなくなり、顔色はどんどん青白くなっていく。
時々指などが動いていたが、次第にその動きも少なくなっていった。
死にかけの男が口を開く。
「聞いて……ないぞ……、東 英貴……」
ぽつりと呟き男は動かなくなった。
「……どういう事?」
英貴、と確かにこいつは言った。
あたしが戸惑っていると、吸血鬼が突然部屋の入口に向かってナイフを投げた。
「あー、バレちまったか」
ナイフを拾い上げた英貴が入口に立っていた。
「……ま、時間の問題だとは思っていたけどな」
意地悪そうに英貴は笑い、吸血鬼は禍々しい殺気を英貴へ向けていた。
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