虚伝と背反 21
「…英貴?」
頭上から声がし、見上げると派手な服装が目に入った。
灯子がこちらを見つめている。
「あんた、なんでそんな所にいるのよ…」
「床が抜けたんだよ、暗くてよく見えねぇし勘弁してくれよな」
灯子がオレの前に飛び降りてくる。
「……ほんと、バッカじゃないの」
灯子は辺りを見回して呆然としていた。
それもそのはず、こんな死体だらけの部屋に入ったら誰でもそうなるだろう。
「……で、その巡を拉致した組織は?」
今回、連絡を寄越したのは灯子だ。
いきなり「廃工場に巡が拉致されている」なんて言われりゃオレでも驚く。
「……あたしの父さんの元部下達よ」
灯子はオレから視線を逸らした。
「あいつら、巡を人質に吸血鬼を誘きだして、あたしに仇を討たせるつもりだったのよ」
灯子が恨んでいる相手はあのクソガキ__そう、橘ライヒだ。
巡をとても慕っているライヒが、巡が拐われたと聞けば動かないわけがない。
作戦としてはありがちだが、あいつにはこれ以上無いくらいの効果があるだろう。
「あたしの父さんの仇は討ちたい……でも、これでいいのか迷っているのよ」
灯子の目は普段のように、どこか一点を真っ直ぐ見つめている訳ではなく、今は焦点が定まっていない様な感じがした。
「あの時、成島優貴の前で見せしめの様にあいつを刺したわ。でも、一切抵抗をしなかった。命乞いをするわけでもなく、ただ黙ってあたしを見つめていたわ」
少しの沈黙の後、灯子は顔にかかった髪を手で払い
「……このままで良いのか、あたしは何か大切な事を見落としたのかって思っていてね」
いつになく、自信無さげに呟いた。
「先輩方、無事でしょうか…?」
結羽の声が聞こえる、灯子と共にここまで来たのか。
灯子は結羽向かってに無事を伝えた。
「とりあえず、早く上に上がりなさいよ。ここにいては何も進まないわ」
灯子が瓦礫に手を掛け、もう片方の手を差し伸べる。
「……待て、オレはここで調べたいことがある」
この部屋の書類が気になる。あまり根拠の無い理屈は好まないが、ここ数日起きた不可解な出来事の事を考えると、この場所に落ちたことに何か意味があるのだろうかと考えてしまう。
そもそも、ここにオレ、巡、ライヒ、灯子、結羽が集まる事はあり得るのか?
オレと巡が待ち合わせていた時に巡が拐われ、その巡を探していたクソガキをオレが拾い、巡を拐った奴等が灯子の関係者で、灯子と共に結羽が来た。
偶然にしても出来すぎていないか?
可能性はゼロではないが、どこか引っ掛かってしまう。
この部屋にいるだけで気分が悪いが、ここに情報がある可能性を考えれば少しの辛抱だ。
「何か考えがあるのね?なら、好きにしなさいよ」
灯子は助走をつけて、残った天井の端に手を掛け上へ登った。
オレでも届かない天井に跳びつくなんて化け物か、と口に出してしまえばもう一度降りてきて蹴りを入れられかねないから黙っておこう。
「東先輩、私もお手伝いします」
結羽が恐る恐る上からロープを垂らし降りてくる。
ロープがあるなら始めから使えば良いものを。
「私が灯子先輩について行っても足手まといになるだけです、英貴先輩のお手伝いをします」
驚いて結羽を見つめるオレを見て、結羽は急に勢いを無くした。
「す、すみません。どっちにしても足手まといにですよね……」
「い、いや大丈夫だ。むしろお前がいた方が良い」
ここでは探し物をするだけだ。人数が多い方が早く片付くだろう。
「棚の資料を漁ってくれ、まずはここが何の施設だったのかを調べる」
ここが何を作っていた工場なのか分かれば、今回の件についても何か引っ掛かる部分が取れるかもしれない。
オレは机の上の資料を広げた。
***
何か物音がする。父さんの部下か、吸血鬼か、それとも別の誰かか。
もう少し進んでみると、人の声らしきものが聞こえる。
涙声の混ざった様な声、少なくとも部下達ではないだろう。
ゆっくりと注意深く進んだ先に扉の破壊された部屋があった。
中を覗いてみると、傷だらけの巡を抱き抱えた吸血鬼の姿があり、辺りには巡を拘束していた物の残骸が散らばっていた。
「巡……お願い、返事をして……、目を開けて……」
巡はぐったりとしていて動かない。その姿を見て、吸血鬼は酷く動揺していた。
部屋の中に入ると、吸血鬼はすぐに顔をこちらに向け、巡を守るように抱きしめた。
「お願い、巡には手を出さないで……!」
怯えた視線をこちらに向けながら、吸血鬼は必死に訴えかけてくる。
元々、この人質に手を出すつもりはない。
吸血鬼の前に立つと、彼は巡に覆い被さるように姿勢を変えた。
「俺はどうなっても構わないから、巡だけは……」
あたしは意地でも巡から離れない吸血鬼の肩を掴んだ。
「下がりなさい、こいつが死んでも良いの?」
「何をするつもり……?」
疑り深く吸血鬼は聞いてくる。当然警戒している様だ。
「手当てしてあげるから離れなさいって言っているの」
吸血鬼は大人しく巡から手を離し、ゆっくりと下がった。
その間にあたしは巡に触れる。
「……脈はあるけど、かなり弱っているわね。怪我の具合も酷いし、このままだと危ないわ」
元々、あたしは看護師になりたかったのもあるし、学生時代に怪我ばかりしていた経験が役に立った。
いくら相手が憎くても、誰かを救う事がしたかった身だ。目の前の死にかけの人間をこんなにも助けたいと思う者がいるのを見て、放っておける訳がなかった。
「ここじゃ応急措置くらいしかできないわ、助けを呼ばないと……」
手持ちの道具で怪我の手当てをしながら、真剣に考える。
まず、こいつを普通の病院に搬送して詳細を聞かれれば答えられない部分がある。
まず、ここに拉致されていましたなんて言ったら大騒ぎになりかねない。
私の父さんの部下に頼めるわけもない。
そうなれば残るのは一つだけ。
「吸血鬼、さっきから泣いていないで動きなさい!こいつの怪我の手当ができる人に今すぐ助けを呼びなさい!」
急に怒鳴られて驚いた吸血鬼は、すぐに携帯を取り出して電話をかけ始めた。
連絡さえ取れればこっちのものだ。それまでこいつの手当てをして運べば回復も早まるだろう。
「もう大丈夫よ、吸血鬼」
電話を切った彼の方を向き、精一杯怖がらせないように声をかけた。
「……どこだ」
こちらの声には全く反応せず、何かを呟いたと思った瞬間、
「巡にこんな事した奴はどこだ!絶対殺してやる!!」
彼はコートの内側に隠していたナイフを手に持ち、眼帯を外した。
普段の気の弱そうな態度や表情が豹変し、憎悪に満ちた表情でナイフを握りしめていた。
「待って!!」
あたしの呼び止める声は届かず、吸血鬼は部屋から飛び出して行った。
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