虚伝と背反 20
廃墟へと足を踏み入れると、何か妙な雰囲気を感じた。
廃墟に人が住み着く等、よくある話ではあるがこの廃墟の人の気配はなんとなく違う気がした。
錆びた鉄臭いと土や埃の混じった空気、しかしそれよりも鼻につく臭い_普通ならば嗅ぐ事の無い臭いがする。
腐敗臭…と、言うのだろうか。しかもかなり強い臭いだ。
ここから先へは進みたくない。
しかしここで進まないと、疚しい事でもあるのかと緑のクソガキに問い詰められそうで戻る決心ができない。
理由など何とでも言えるのだが、この先に巡がいるとすれば別。
こいつは意地でも見つけるまで帰らないだろう。
勿論、自分の身が一番大切だから最悪の場合は置いていくが、はっきり言ってこいつも巡も弱い。
巡に関しては言わずもがな、ある程度護身ができるだけで運動神経は皆無、しかも非力の役立たず。
ライヒは多少器用ではあるものの、足が速いだけの軟弱者だ。攻撃しようという気にならなければ逃げるだけ、その気になったところで動きに無駄が多く格上相手なら秒殺されるだろう。
巡が何故捕まったのかは大抵予測がつくが、ここまで連れて来られる程度の手際の良さがあるならば、二人とも自由に動けたとしても手慣れた相手なら再び自由を奪うことくらい容易いだろう。
あの二人が死ぬだけなら何も困ることは無いが、クソガキが死に際に情報を吐いたりしてオレが巻添えを喰らう事になれば、オレの身も不安だ。
巡の現状が明日の我が身だとすれば、想像しただけでゾッとする。
今回だけは逃げる事は諦めて、あの図体のでかい役立たずを連れて帰る事にしよう。
隣を歩くライヒの方を見る。
表情は平然としているが、挙動には焦りが感じられた。
臭いに気づいていない事は無さそうだが、進む方向に迷いはない。
「お前、よく顔色変えずに進めるよな」
普通の人間なら絶対に気分が悪くなる臭いが充満しているにも関わらず、こいつは何事も無いかの様な態度を取れる事が不思議で仕方がない。
尤も、こいつからすれば巡第一で、臭いなんてどうでもいいのかもしれないが。
「慣れているから、不快であることに変わりはないけど」
「…流石化け物」
そう言った途端、ライヒはオレの脛を蹴った。
あまり痛くはなかったが、やはり怒らせると面倒だ。
ライヒが立ち止まる。
丁度二階へと続く階段がある場所だ。
「ほんの少しだけど、巡の臭いがする」
この異臭の中よく嗅ぎ分けられるな、と思いつつも若干の臭いで巡だとわかってしまうこいつの依存具合というか、その巡への執着に感心はする。
「巡の血…なのかな、若干鉄っぽい臭いがする」
その辺に錆びた鉄が転がっているから、鉄の臭いなんてどこからでもするだろう。
オレにはまるで理解できない。
「…怪我しているのかな、大丈夫かな」
次第にライヒの顔色が悪くなっていく。
「酷い事されているのかな…早く行かなきゃ」
その仕草に落ち着きは無く、一刻も早く巡に会いたいといった様子だった。
二階へと注意を払いながら上り、ここから先は視界が狭いと危ないからと、ライヒは眼帯を外した。
赤黒い血溜りの様な色をした右目は、虚ろで義眼の様な左目とは違い、妙に生き生きとしていてそれでいて人間のものでは無いような気味悪さがあった。
理屈はわからないが、こいつの目は恐怖を感じる。
子供とは思えない程に冷めた目つきでいて、憎悪や殺気といった怨念じみた負の感情が籠っている。
余程この世界を、自分の人生を憎んでいるのだろうか。
憎んだところで何も変わらないし、自分も憎まれる対象かもしれないのに。
「この先……近いかも」
ライヒはずかずかと先へ進んでしまう。
只でさえ異臭で吐き気がしたり、足場が悪くて床が抜けないか心配で歩きづらいのに、そんな事はお構いなしに暗い通路をどんどん先へ進んでしまう。
待てと言っても、オレの言葉など耳に届かないようで追いかけるのも一苦労だった。
しばらく先へ進み、ライヒが立ち止まる頃には重そうな鉄の扉の前に立っていた。
錆が目立ち、立て付けの悪そうな扉には南京錠が掛かっていて開きそうもない。
ピッキングできるか調べようと屈んだ時、頭上に何かが振りかぶった。
ライヒが力任せに近くにあった機械の残骸の様なものを扉にぶつけ、破壊しようとしている。
その姿は普段の落ち着きは感じられず、ただ感情のままに行動しているように見える。
今の彼に、周りなど見えていないようだった。
「巡!!!中にいるの!?ねぇ!!」
ライヒの叫び声と、機械の残骸が扉にぶつかる音が辺りに響く。
巡を拉致した人物はこの施設にいるのだろう。
これだけ大きな音を立てれば気づかれない訳が無い、見つかるのも時間の問題だろう。
もう手遅れだとは思うがその場を離れようと、ライヒの腕を掴み制止させようとする。
ライヒは無理矢理オレの腕を振り払い、機械の残骸をオレめがけて降り下ろす。
相変わらず無駄な動きが多く避けるのは容易だったが、邪魔をするなと言わんばかりの形相でこちらを見ている。
あくまでも、敵視されているのだろう。
こんな奴には付き合っていられない、二人纏めてここで死んでもオレには関係無い話だ。
ライヒを置いて、この場から逃げる事を選んだ。
来た道を戻ろうとすると、勢いよく床が抜けた。
何かに捕まろうとするものの、辺りには掴めるものは何もない。
この高さならそこまで重傷にはならないだろうが、更に物音を立ててしまった焦りと、落ちた先が施設内のどこなのか見当がつかない。
「……こんな所で死ぬのだけは御免だからな」
落ちた先には誰もいなかった。
誰もいなかったが、人がいなかった訳ではない。
よろよろと立ち上り、辺りを確認した。
古びたノートや、メモ書き等が机に散らばっている。
部屋の端の棚にはボロボロのファイルが隙間無く入っている。
そして、この部屋のあちこちに死体が転がっている。
頭が腐り中身が見えてしまっているもの、身体の一部が変形し原型がわからなくなっているもの、四肢が切断されたもの……。
比較的新しい死体が異臭の原因だろう。
「なんだよ……ここ……」
目の前の光景から目を背けたい、吐き気がする。
あまりの衝撃に立つことが出来なくなり、その場に崩れ落ちる。
目が痛くなるほどの嫌な空気、早くここから出たいと思うも、出口の扉は歪んでしまっていて開けられそうにない。
上へ戻ろうにも捕まるものが無いので、上に登る手段もない。
「ははっ……オレすっげぇ無様だな……」
ひきつった笑顔で一人呟く。
助けは来ないだろう、誰かが来てもそれはきっとこの場所と関係のある人物だろう。
ただ、気になるのがこの施設は元は何の為に作られたものだったのか?
何故こんなに死体が転がっているのか。
「どうなっているんだよ……聞いてねぇぞこんなの……」
これから一体何が始まるのか。
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