虚伝と背反 14
目が覚めると妙に体が軽かった。
次の追っ手が来る前に場所を変えようと部屋を出た。
廊下の突き当たりまで来た所で、待ち伏せしていた職員に見つかってしまった。
逃げなくては、と頭では思っていたが身体は逆方向、職員に向かって行った。
取り押さえようとした職員の腕を抜け、そのまま職員に飛びつき、首元に噛みついた。
口の中に流れてくる血液がとても心地良い。
流れる血液を舐めとり、血が止まってはまた噛みつき、それを繰り返していた。
この人の血が特殊なのか、俺がおかしくなったのかはわからない。
ただ、理性を保てずに欲するままに吸血していた。
廊下の真ん中で吸血していれば、見つかる可能性も高まる。
気づけば職員に囲まれており、逃げ場は無くなっていた。
しかし、俺は危機感を覚えることもなく、ただ、次の吸血対象を見つけたとくらいにしか考えていなかった。
次々に首筋に噛みつき、喉元を食い破り、溢れ出る赤い液体を飲み干していく。口元や服が赤く汚れるのも気にせず、満たされるまでその行為を続けた。
やがて、血を吸い尽くし、外が少しずつ明るくなってきた所で、はっと我に返り、自室に戻った。
手と顔を洗おうと洗面台に立つと、すぐに自身の異常に気がついた。
右目が赤くなっていた。充血しているわけではなく、瞳の色が以前と全く違う。
右手を見ると、左手に比べて青白く、それでいてうっすらと血管が透けた様に桃色がかっていた。
気持ち悪い_それが第一の感想だった。
髪は元々変色していたのに更に拍車をかけ、緑色に近い色に変色していた。
これが薬の副作用か_
はっ、と我に返ると自分のやったことを思い返す。
普通の人間とは思えない見た目で、人に噛みついて、喉を食い破って血を飲むなんて、もう自分は人間ではない気がした。
今更後悔は無いが、これからどうやって生きていくかなんて考えられず、後にも先にも真っ暗な世界しか
広がっていない気がした。
悲観的に物思いに耽っていると、部屋の扉が開いた。
この後はどうなるかなんてわかっていた。
俺はすぐに取り押さえられ、鎮静剤を打たれ、手足には枷を付けられ自由に動けなくなった。
鎖に繋げるように首輪もはめられ、暗くて冷たい地下牢に鎖に繋がれ閉じ込められた。
あの未完成の薬が引き起こす身体の変化に初めて適応できた実験体ということで殺処分するには惜しいと判断されたらしい。
しかし、野放しにしてくれるわけでもなく、あくまでも死ぬまで実験の材料にするというだけの様だ。
時間になれば点滴も来るし、脱走防止に監視役が数分置きに来るくらいで特にこれといって変わらないはずだった。
監視役にもう寝るよう告げられ、寝ていたが誰かが階段を降りてくる足音が聞こえ目を覚ました。
院内で見たことの無い男達で、何かを話しているが内容まではわからない。
あの時の記憶がふと頭を過る。
もしかしたら痛い目に遭うのではないか、そんな考えが思いつくと同時に急に怖くて仕方無くなる。
男達は牢の扉に手をかける。
来ないでほしい、顔も合わせたくない、入ってくるな、と拒絶しようにも声が出ない。
男達は入ってくるなり俺を取り押さえて、腹部を何度も蹴ったり、固い床に頭を叩きつけたりした。
「こいつ、本当に生きていたんだな。気持ち悪い、噂通り化け物みたいだ」
笑いながら男は暴力を振るい続ける。
内臓に傷がついたのか、口から血を吐き出した。
「おいおい、殺すなよ。大事な実験体だからな」
踞る俺を蹴る男に、もう一人の男がそう言った。
「殺さない程度に痛めつければ問題ない、死ななければお咎め無しだ」
暫くして、まともに動けなくなり
それから先は覚えていなかった。
意識が回復して猛烈な吐き気と、全身の倦怠感にやっと気づいた。
どのくらい意識が無くなっていたのか、時計も窓も無いこの牢では見当がつかない。確かにわかるのは身体の不調だけで。
体が痛い、うまく動けない、だけど今すぐにでも吐いてしまいたいくらい、気持ち悪い。
もしも、この状態を監視役に見られたら、今の状態を見れば、すぐに治療のために連れていかれるだろう。
しかし、そこで何をされるかは想像できない。だから俺は隠さなければいけない。昨日の事も、自分の状態も。
それなのに、あの逃げ回っていた夜と同じ感覚が、俺の中にあった。
_喉が焼けるように痛い。早く、“あれ”が飲みたい。
降りてきた監視役が牢へ足を踏み入れ、俺を繋ぐ鎖に手をかけた瞬間_
俺は監視役の首元を噛み千切った。
その後は、ただ物言わぬ屍と化した監視役の血液を飲み続けていた。
どうやら自分の体質はあの薬によって、身体は前よりは、比較的丈夫になった代わりに、生物に対して過剰反応を示すように変わってしまった様だ。
食べられない訳ではないが肉や内臓には、あまり反応しない様で、血液には異常な程の反応を示してしまい、一度口にしてしまえば満足するまで、ひたすら吸血を続ける事はわかった。
もう、自分が人間だとはとても思えない。
それでもいい、いつかここを出て生きられるのなら。
暫く時間が経って、監視役の血液を全て飲み干した後、奥から数人の足音が聞こえてきた。
音のする方を見つめると、うっすらと光が見える。
懐中電灯か何かだろうか、数人いることには変わりはないが昨日の男達とは違うことは、なんとなくわかっていた。
だんだんと光は鮮明になり、俺はその光に照らされた。
その後の事も、大体予想はついていた。
監視役と同じ服を着た男達、恐らく戻って来ない監視役を心配し、様子を見に来たのだろう。
男は、俺を見て悲鳴をあげた。
俺を“化け物”、“悪魔”だの罵った。
それも当然だろう。
変色した普通ではあり得ない色の髪、気味の悪い左右で色の違う目、右半身だけうっすらと血管が透け、
薄い桃色になっている皮膚。普通の感覚を持っていれば、“気持ち悪い”と思うのが当然だろう。
それでも、俺の中に確かに“悲しい”という気持ちがあった。
自分が人間だと思っていたい、思われていたい。化け物だと突き放さないでほしい。
誰かに救ってほしいという気持ちが少しでもあったのかもしれない。
また、目の前に広がるのは同じ色だった。
虚ろな光の差さない瞳でただ、床に広がる物を眺めていた。
_何故か、今だけは涙が止まらなかった。
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